久しぶりの投稿

久しぶりにこのブログで何か書くことにした。

今回の書く内容は、「人との接し方」についてだ。

何故この記事を書くようになったのかと言うと、なんとなく「人付き合いって面倒なものだなあ」と感じたからである。

こんな事を自分で書くのもどうかと思うが、自分は周りの人間から「怖い」「威圧感がある」とよく言われる。しかし、自分が思うに、これは本当に「怖い」や「威圧感がある」とは思われていないと思う。

その理由として、本当に怖いならば避けるはずだ。それは自分が何度も経験しているし、それを自分もしてきたからだ。怖い人は避ける。これは当然なんじゃないかと考える。自分も学生の頃、怖い先生から提出物についてよく聞かれるため、その先生からはよく逃げていた。

それなのに、その「怖い」と言う友達はなかなか自分から逃げない。

本当に「怖い」のならば、普通に避けていくだろうし、話しかけないだろう。

それなのにどうして、そんな「怖い」人と一緒に行動できるのだろうか。

「威圧感がある」ともよく言われる。自分が思うに、「威圧感」がある人からも逃げるはずだ。自分だってそうだ。威圧感のある人は避けている。

多分、多くの人が「怖い」や「威圧感がある」と思った人からは逃げると思う。

それなのに、その友達は友達付き合いを続けている。もうここまで行くと、何か別の事でも考えているのではないかと思ってしまう程だ。

なぜそんな人と仲良くしているのか。なんだか考えるだけで恐ろしい。

その友達とはラインを交換するほどの仲にまで発展したが、それでもラインのトークで顔文字や絵文字を使ってこない。まあ、過度に顔文字や絵文字を使われるよりはマシだとは思うが、それでも「なんで顔文字や絵文字とかを送ってこないの?」と聞いても、やはりそれは現実と同様に、「怖いから」と言われる。

別に先輩でも上司でもない同い年に、どうしてそこまで怖がられたり、異常なまで気を使ってきたりするのだろうか。それに自分は小柄な人間だ。それなのに、どこから「威圧感」を感じるのかも分からない。

そこで自分は一つの仮説を打ち出した。それは、その「怖い」「威圧感がある」とよく言うその友達は、「自分を心の底から信用していないため、そのような適当な理由で自対応している」と言う、なんとも言えなくなる仮説を打ち出した。

自分でもなんだかバカげているなぁと思うが、それでも完全にその可能性を否定する事は出来ない。

そういう人間は必ず世界に一人以上は存在するだろうし、その友達がそういう人間である可能性も否定できない。

しかし、これを見返してみると、自分は本当に友達を信用していないんだな(笑)と思えた。だが、本当にこの可能性は否定できないので、今後も相手の行動等に気を付け、慎重に見張る必要があるのかも知れない。

 

さて、これで今回の投稿を終わります。最後の方に文が乱れておりますがお許しください。それでは、さようなら。