少しだけお題に乗ってみた
と、言う訳で今回はお題スロットからお題を貰う事にしてみた。
ふと目に留まったのが今回のこれだ。「好きなゲーム」についてだ。
これなら書けるなと思い書くことにした。
さて、今回のお題である好きなゲームだが、やはり絶対に欠かせないのが
「トモダチコレクション」である。
2010年に購入して、その後飽きて、またハマって、飽きて、そして現在再び熱が入り始めた。というところだろうか。
もう買って7年もするというのに、再びハマりだす位だから、多分余程好きなゲームなんだと自分自身そう思う。
単に、Miiを作り、島のマンションの住人としてマンションに住まわせて、それをお世話しながら観察するという結構単純そうなゲームだが、結構これが奥深い。
なんせMiiが友達や親友を作ったり、恋をしたり結婚したり、また喧嘩したりするのだ。
多分そういう人間観察が大好きな人にはたまらないゲームだろう。
私は初めてこのゲームをやり始めた時には深く考えず、面白可笑しくゲームとして楽しめればなあと思っていたが、今現在では、それだけでは物足りないと感じたのだろうか、私は自分だけの設定(妄想)をするようになった。
例えば、このゲームの住人は島内の施設(食べ物屋だったり、服屋だったり色々)でアルバイトを行うのだが、そこの最低賃金はいくらかだったり、島内の自然はこうなっている~とかを勝手に想像し、妄想したりする事だ。
まあ、そんなことをしながらまた再び熱が入り始めているトモダチコレクション。
もしかすると、このブログでも何らかの形でそれの近況を上げるかもしれません…。
ってな感じでついつい語ってしまいましたww
ですが、このトモダチコレクションは本当に面白いので、ぜひぜひやってみてください。
因みに、トモダチコレクションはDS版と3DS版の「トモダチコレクション 新生活」もあります。私は新生活はやったことありませんが、YouTube等で色々と動画が出ているので、それを参考にどうぞ。
さて、とりあえず、今回はこの辺で終わらせていただきます。
以上。
またまた久しぶりの投稿
さて、また久しぶりにこのブログで「何か」を書くことにした。
なんだか久しぶりに書きたくなったのでまたここに書く事にした。
さて、今回話す内容はインターネットについて。
今この現代社会では、インターネットと言うと様々な物を思い浮かべる。
さて、今はインターネット無しでは恐らくなかなか生きていけない世の中になりつつあるなあと感じる時がある。それは、この日常生活の中でも確実に感じる。
例えば、今の流行りと言う物は大体はインターネットからの物であると思う。
特に、色んな人に会って話をしてみると、話す世代が若いためか、必ずと言って良いほどインターネットの話題が出てくる。アホみたいに(笑)
で、やはりその事から、「ああ、ネットが生活の中心なんだなあ」と感じる。
「じゃあそう言うお前はどうなんだ」と突っ込まれるかもしれないので、恥ずかしながら私のインターネット事情について少しばかりお話しよう。
まず、最初に言うのは、「この私も生活の中心にはインターネットが必要である」と言う事だ。
まず、友達との連絡もスマホで行う。調べたい事は図書館になんか勿論いかず(失礼)にインターネットで調べたい事を調べる。動画もスマホやパソコンで見る。
このことからも、私の生活の中心には見事にインターネットが入り込んでいる。
確かにインターネットは便利だ。便利すぎる。しかし、インターネットで調べていくうちに、いろいろと恐ろしい事も知った。
まさか、自分が今現在使っているこのインターネットで知った、インターネットの恐怖。
それは、自分でも薄々気付きかけたものだ。
それは。
Googleの恐怖である。
Googleはインターネットを使う上で、(一部の人を除く)絶対必要なものだ。
私自身も、このGoogleや、Googleのサービスを使って色々な物を調べたりしている。
他にも、スマホの端末のバックアップだってGoogleのクラウド(?)に大きく依存している。(一部の写真はラインに保存しているが、そのラインさえもバックアップ先はGoogleである)
さらに、位置情報サービスや、その他のサービス等も、とにかく、何もかも、Googleのサービスだ。
Androidスマホを利用している人は、恐らく殆どがGoogle、又はGoogleのサービスを利用しているだろう。
もしかすると、スマホの十中八九はGoogleが関わっているのかもしれない。
そう考えると、インターネットも、Googleも実に恐ろしいものだ。
「じゃあインターネットやGoogleを使わなければいいじゃないか!」と言う人も出てくるだろうが、私は前に「インターネットは生活の中心である」と断言した。なのでどうする事も出来ない。
それにGoogleも同じである。恐らく、今ではGoogleや、Googleのサービス等を使わないと、今使っているスマホも使用出来なくなるだろう。
それらの事からも、この時代、インターネットもGoogleも、本当に切っても切り離せない関係になってしまったんだと考える。
実に恐ろしい時代になってしまったものだ。だが、これも運命かもしれない。
インターネットもGoogleも、切り離せなくなると恐ろしい。なにせ個人情報の塊である。
そんな重要な個人情報を、得体の知れぬサーバーに預けるというのは、なんとも言えない恐怖感を感じさせる。実に恐ろしい。(何回言うつもりだ)
皆さんも今一度考えてみてはいかがだろうか。自分の個人情報が、どこかの国の得体の知れぬサーバーに保存してあると考えみては…。
また、考えるべきことは他にもある。もしも、今使っているGoogleサービスの情報が、Google以外の他の場所、企業、法的機関に渡されていたら…。と。
私は、私も友達も、大体政治が好きで、よくラインとかの場で政治についてよく語ってしまう事がある。例えば「今の日本は~」とか「トランプの政策失敗が~」とか、とにかく、色々と面白可笑しく語ってしまう時がある。
しかし、もしもそれが全て政府等の法的機関に流されていたら…。と考えるとまたこれが恐ろしい。もしも政府機関の目に留まってしまえば公安の監視対象になってしまうかもしれない…。なんて考えると、恐ろしく怖い。
だが、そこは日本。なんだかんだ言ってそのような事はないようだ。(本当にそうなのかと言われると必ずそうだとは言えないが。)
だが、実際にそのような検閲を行っている国も実在しているし、Googleが検閲を陰で行っていても全然不思議ではないだろうし。
その事も考えると、Googleというのは本当に闇が深く思えてくる。
だが、今の世の中なんて、インターネットを使っていれば、どんなに細心の注意をしていても、個人情報なんてどこからか漏れてくる。また、検閲なんてものも考えるだけ無駄だし、今の日本国にはそのような検閲をしてはならないと決められているし、その事からもやはり検閲なんて考えるだけ無駄だったのかも知れない。
まあ、これの件については、今回は深くは考えずに、またの機会に、私の知識がまた揃い次第、これについて深く書きたいと思う。
以上。
あとがき
しかし、インターネットやGoogleというのは実に恐ろしいなぁと、これを書いている時に改めて感じた今回の投稿でした。(笑)
久しぶりの投稿
久しぶりにこのブログで何か書くことにした。
今回の書く内容は、「人との接し方」についてだ。
何故この記事を書くようになったのかと言うと、なんとなく「人付き合いって面倒なものだなあ」と感じたからである。
こんな事を自分で書くのもどうかと思うが、自分は周りの人間から「怖い」「威圧感がある」とよく言われる。しかし、自分が思うに、これは本当に「怖い」や「威圧感がある」とは思われていないと思う。
その理由として、本当に怖いならば避けるはずだ。それは自分が何度も経験しているし、それを自分もしてきたからだ。怖い人は避ける。これは当然なんじゃないかと考える。自分も学生の頃、怖い先生から提出物についてよく聞かれるため、その先生からはよく逃げていた。
それなのに、その「怖い」と言う友達はなかなか自分から逃げない。
本当に「怖い」のならば、普通に避けていくだろうし、話しかけないだろう。
それなのにどうして、そんな「怖い」人と一緒に行動できるのだろうか。
「威圧感がある」ともよく言われる。自分が思うに、「威圧感」がある人からも逃げるはずだ。自分だってそうだ。威圧感のある人は避けている。
多分、多くの人が「怖い」や「威圧感がある」と思った人からは逃げると思う。
それなのに、その友達は友達付き合いを続けている。もうここまで行くと、何か別の事でも考えているのではないかと思ってしまう程だ。
なぜそんな人と仲良くしているのか。なんだか考えるだけで恐ろしい。
その友達とはラインを交換するほどの仲にまで発展したが、それでもラインのトークで顔文字や絵文字を使ってこない。まあ、過度に顔文字や絵文字を使われるよりはマシだとは思うが、それでも「なんで顔文字や絵文字とかを送ってこないの?」と聞いても、やはりそれは現実と同様に、「怖いから」と言われる。
別に先輩でも上司でもない同い年に、どうしてそこまで怖がられたり、異常なまで気を使ってきたりするのだろうか。それに自分は小柄な人間だ。それなのに、どこから「威圧感」を感じるのかも分からない。
そこで自分は一つの仮説を打ち出した。それは、その「怖い」「威圧感がある」とよく言うその友達は、「自分を心の底から信用していないため、そのような適当な理由で自対応している」と言う、なんとも言えなくなる仮説を打ち出した。
自分でもなんだかバカげているなぁと思うが、それでも完全にその可能性を否定する事は出来ない。
そういう人間は必ず世界に一人以上は存在するだろうし、その友達がそういう人間である可能性も否定できない。
しかし、これを見返してみると、自分は本当に友達を信用していないんだな(笑)と思えた。だが、本当にこの可能性は否定できないので、今後も相手の行動等に気を付け、慎重に見張る必要があるのかも知れない。
さて、これで今回の投稿を終わります。最後の方に文が乱れておりますがお許しください。それでは、さようなら。
さっそく愚痴みたいなものを。
さて、色々あって記事とかを投稿出来なかったけども、時間が生まれ、記事を書くネタもできたので、さっそく書くことにした。
愚痴しかないが、とりあえず書く。
さて、皆さんは誕生日を祝ってもらった時、どのように対応するか。
大体の人が、「ありがとう」とその誕生日を祝ってもらった人に言うだろう。
多少嫌な相手にも、祝われたらそれはそれで嬉しいだろう。自分だってそうだ。
しかし、残念ながらこの世の中には、誕生日を祝われても、お礼を一切言わない大バカ者がいる。
私はこれを知ってとても残念だ。実に残念だ。
何故この様な記事を書いたのかと言うと、それには理由がある。
ちょうど今日、友達が誕生日だ。
その友達とは、もう10年以上もの縁で、自分の幼馴染だ。
そんな幼馴染であり、友達である奴が今日誕生日だった。
そいつとは過去に何度か揉めたこともあったが、そう言うのも関係なしで、とりあえずは友達として誕生日を祝うメッセージを友達にLINEで送った。
過去には揉めもしたが、特に大ごとにも発展せずに終わった話だし、誕生日なんだし、とりあえずそう言うのも言いっこなしで、そいつにただ「誕生日おめでとう!」とメッセージを送った。
普通なら、大体の人が、「ありがとう」とかそういう言葉を返すだろう。めんどくさくても、スタンプの一枚くらいは送ってくるだろう。それが嫌な奴でもだ。
しかし、現実はそう甘くない、のだろうか、その友達は返事を返さなかった。
その友達も忙しいのだろう、何か用事があるのだろうと思い、そのまま自分も用事をしていたら、ラインの通知が鳴った。何かと思い見てみた。すると、それはなぜか存在する「幼馴染のグループのライン」からだった。
投稿者は、その日誕生日だった奴。俺は、「なんだ、用事が終わったのか」と思いそのグループのラインを見た。そこでは他愛のない会話が続いた。
そしてその次に自分は、誕生日のメッセージを送ったやつのラインを覗いてみた。
グループのラインで投稿したんだから、既読ぐらいはついているだろうな。と思っていた。だが、違った。未読であった。
グループのラインに10分も会話できるなら、なぜ誕生日を祝うメッセージに目を通さないのだろうか。既読ぐらい付けることも出来ないのだろうか。
たとえその後が忙しくても、既読ぐらいなら付ける事が出来る。それなのに、その友達は既読も付けずにほったらかし。
その後に、自分はその友達のツイッターを見てみた。
そこでは、その友達の誕生日を祝ってくれていた人達と会話をしていた。
しかも会話は今も途切れ途切れながらも続いていた。
自分の頭の中は疑問でいっぱいになった。
何故他の人たちに誕生日を祝われたら普通に、嬉しそう反応するのに、なぜ自分には無反応なのか。
そのうち腹が立ってきた。特に忙しくもないくせに、特に用事もないくせに、他の人からの誕生日を祝うメッセージを受け取ったら嬉しく反応する癖に、
何故自分のメッセージには一切無反応なのか。
特に何かしたわけでもない。ついこの前まで、普通に話す仲だったのに、何故この様に無反応で、一言もお礼を言わないのか。
考えるだけ無駄であるとは思うが、今でも腹立たしい。
まさか自分の周りにいる人間で、これほどまでに失礼極まりなく、そしてここまで性根が腐った奴に出くわしたことはない。断言できる。
そして、自分はもう二度とあいつに誕生日のメッセージを送らないことにした。
さてまあ、とりあえずこれが今回の愚痴です。1000文字以上も書いてしまいましたw
でもこういう人がいる事は本当に残念です。ええ。
全部自分が実体験したものですが、結構傷つきました。
とりあえず、これから誕生日を迎える皆さん、どんな人からでも、誕生日のメッセージにはとりあえず返事をしておきましょうね!(どうせ嫌な奴なら既にブロックしているでしょうしね!)
これが初投稿
ブログを開設してみたのに、記事を更新しなかった。しかし、やっと記事らしいことも
書けるようになったので、ここに書くことにする。
さて、今回初めてこのブログに記事を書く内容としては、最近身の回りで起こった事とか、日常のニュースとかを色々投稿していきたいと思う。
あまり更新は出来ないかも知れない。けども、せっかくブログを開設してみたし、もっと使いこなそうと思ってこのブログを開設してみたから、出来る限り時間を省いてでも投稿してみる事にする。
さて、もう次の記事を投稿してみるので、初めての記事はこれくらいで終わらせてもらう。では、次の記事で。
(このブログでは大半の文章をこの様な書体で書く予定です。たまに話し言葉になる時もありますが、そこのところは深く考えないでください。)